3ヶ月間の米国研修旅行

3ヶ月間の米国研修旅行

研修の内容は

研修内容は、まず、アメリカ本社へ行き研修全体の概要説明を受けました。3ヶ月間同じところにいるわけではなく、アメリカ国内、メキシコそれにカナダと移動しながらの研修です。
かく地域の市場の状況の説明を受け、それからその地域の特徴の説明を受けセールスマンと一緒に得意先回りです。目的はセールスマンの顧客に対する対応の仕方や得意先の反応などを聞き、市場の状況を学部ことです。
だいたい一カ所に1週間らいしか滞在しません。そのために何か移動しっぱなしという感じで、追い立てれるような研修でした。感じたことはアメリカという国は地域によっていろいろ特徴的だなあ、ちう感想です。
例えば、マイアミへ行ったときは出会うのはほとんどスペイン語を話すキューバ人です。キューバ革命でキューバから逃れてきた人たちです。南部へ行くと、町の中心部には窓が割れて誰もいないビル群ばかりで、町を走っているのは普通のセダンばかりで高級車派が見当たりません。地域によって経済格差を大きさ感じたものです。

一番困ったこととは?

この研修旅行で僕が一番困ったことはトイレです。あさ営業所をセールスマンと一緒に一日中外回りをします。するとトイレはお昼ご飯を食べるときぐらいです。筆を過ぎるとそのままずっとセールスマンと一緒に得意先を回るのでトイレに行くチャンスがありません。しかも、どのセールスマンもとておトイレが長いのです。僕は日本人の中でもトイレが近い方で、本当に困りました。
ひとつ気がついたことは、アメリカ人達は誰もがトイレが長いということです。よく観察していると、あさ英G中押しを出て筆もトイレに金石、営業所に帰ってもトイレに駆け込むこと間ありません。
僕自身はほぼ3〜4時間おきにはトイレに行きたいタイプですから、研修中はそればっかりが気に杏梨肝心の本来の目的であるセールスマンと顧客とのやりとりなど全く関心がありませんでした。

「おまえ、殺されるぞ!」

メキシコの北部の都市へ行ったときです。よる各国から来ていた研修生とそろって夜ご飯を食べに行きました。高級そうなレストランです。マリアッチがバンドがいます。やがて、彼らが我々のテーブルにに来ました。メキシコの音楽は好きでしたから、知っている曲をリクエストしました。そして、チップを渡そうと採譜を取り出したとき、
「やめろ!おまえ殺されるぞ!」
隣のアルゼンチンから来ていた研修生が僕の財布を手で隠して怒鳴りました。
あっけにとられていると、
「こんなところで財布を見せてみろ、ここ々を出て5分もしない内におまえは殺されて財布を取られるぞ!」
これには本当にびっくりしました。
「高級レストランであっても、ここで働く従業員はお金持ちではない。メキシコでは他人の前で財布を見せてはいけない」
説明してくれました。
メキシコと同じラテンの国アルゼンチンも治安状況は同じだと教えてくれました。
平和な国の日本人の平和ボケを痛感した次第です。

 

 

意外にもあまり手を動かして話さないアメリカ人

研修旅行中には講義形式だけではない、テーブルを囲んでディスカッション形式の会議もありました。その沖のことです。
隣のアメリカン人が何か興味深そうに僕の同僚の日本人の話方をじっと見て、にやにや笑っています。
「何がおかしい」
「お前の同僚の話し方を見てみろ」
「何か?」
「あの手の動きを見てみろ。」
見ると僕の同僚が身振り手振りで自分の意見を述べています。
その動きは特に日本人としては見慣れた光景です。
イ尼h盛んに手を動かしてしゃべる日本人は特に珍しくも何でもありません。
とくに、何かを売り込みに来る営業マンなど特に手を動かして説明します。

俺たちはマフィア?

カナダのトロントでの出来事です。例によって世界中の国々から来ている研修生仲間と三々五々夕食に行きます。で、あるイタリアンのレストランに入りました。ところが、出迎えたマナージャーが言うには満員で、しばらく待たない席に着けないという。
仕方が無い、次を探すか、と言って外へ出ようとすると、イタリア系南アフリカ人の研修生が、
「ちょっと待て」
と言ってマネージャ−とイタリア語で話し始めました。
すると、
マネージャーの顔色が変わりました。
すごく緊張しています。
「ちょっとお待ちください」
そういう遠くに消えました。
急ぎ足で戻ると僕らを奥の席へ案内します。
ぼくらは何が起こったか解らないまま席に着きました。
急ぎ足で戻ってきたマネージャーは緊張の表情を崩さずに注文を取り始めました。
我々は何が起こったか徐々に理解し始めました。
イタリア系アフリカ人に聞きました。
「俺たちはマフィアだと言ったんだろう?」
イタリア系アフリカ人は知らん顔をしています。
「きっとそうだ」
そのくだんのイタリア系南アフリカ人は小柄ですが、目つきが鋭く姿勢が良くなんとなく迫力があります。
「そうだ、そうだ」
と、納得です。
レストランのマネージャーは最初から最後までエ緊張しっぱなしでした。
かわいそうに、、

 

 

3ヶ月アメリカにいると英語ガうまくなるか?

3ヶ月という研修期間は外国暮らしに慣れていない僕にはとても苦痛でした。
特に、最後の2〜3週間は帰国の日を指おり数えていました。
アメリカに到着した当初は、きっと3週間もアメリカにいると、英語がうまくなるだろう、と漠然と考えていました。
ところがです。
最初の頃は英語になじもうと努力しましたが、それがだんだんと苦痛になってきました。
そして、2ヶ月を過ぎる頃には、ついに英語がスムーズに耳に入らなくなってきたのです。
疲れて頭が英語を受け杖k亡くなったのです。
アメリカに来る前はきっと3ヶ月のアメリカ滞在で一段と英語力が付くとものと考えていたもくろみがきれいさっぱり崩れました。

同じ会社の社員でも国によって給与水準が違う

この研修で嫌でも気づかされたことがあります。
それは同じ会社の従業員でも、雇用されている国によって収入が大きく違うということでした。
あたり飴だと思いますが、特にアルゼンチンの社員は給料がとても低そうで気の毒になりました。
もちろん、出張旅費も差がありそうです。
かわいそうに彼らはみんなと一緒に食事する余裕がなさそうで、いつもアルゼンチン組は彼らだけで食事をしてました。

マイアミ湾のクルーズディナー

さて、研修旅行の打ち上げはマイアミ湾での豪華なクルーズディナーです。
大きなヨット(ヨットというよりちょっとした船)を貸し切り、しかもホステスまでいます。
”アメリカにも出張ホステスがいるんだ!”
驚きです。
で、彼女らの正体を聞いてみると、航空会社の客室乗務員だったり、
どこかの会社のOLだったりと、ちゃんとした仕事をもっていて、今日はアルバイトみたいなものだ、と言っていました。
やっぱり、どんな国でもホステス的な仕事はあるのだ、と納得です。
それにしても豪華の打ち上げクルージングでした。
ちなみに、このディナーで一番騒いだのがアルゼンチン組。
とにかく周りのことなど気にしないで大声で騒ぎ立てていました。
アメリカ本社の担当者によると、南米のスタッフはいつもこうだと教えてくれました。

週末を利用してディズニーワールドへ

イタリア系南アフリカ人がロビーで仲間達に声をかけています。
「週末、誰か一緒にディズニーワールドへ行かないか?」
誰も行きそうもありません。
でも、興味を持った僕ともう一人の日本人同僚が手rを上げました。
一泊だけの滞在でしたが、その広大な施設を楽しませてもらいました。

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